1.塾にて、大輝と



 12月25日、クリスマス。本来なら恋人や友人と仲良く過ごすような日だ。しかし、私はいつものように職場の学習塾に出勤し、いつものように小学生たち相手に授業をしていた。試験の近い受験生にはそんな記念日なんて関係ないのだ。中学受験もごく普通のこととなった今では、小学生にでさえ休日は与えられない。
 いつものように授業を終え、子供たちが教室から出て行くのを見送る。しかし決して一段落ついたわけではなく、今度は事務的な仕事が待っている。次の授業の準備もしておかなければならないし、保護者へ向けてのプリントの作成もある。それ以外にもこまごまとした仕事は山のようにある。
 相変わらずムードもへったくれも無いクリスマスだな、と一人教室の中でひとりごちた。
 何となくホワイトボードの隅にクリスマスツリーを描いてみた。残念なことに私には絵画センスがまったくないので、木のような物に星がくっついているだけの物体になってしまった。あまりの酷さに思わず自分でも声を上げて笑ってしまう。
「笹本は絵が下手だな」
 急に声を掛けられて私はビックリしてしまう。どこからか声がしたと思ったら、ドアからスーツ姿の大輝が覗いていた。しまった、まさか大輝に見られてしまうだなんて。
「しかし芸術的だな」
「あ、あんまり見ないで下さい!」
 大輝は教室に入り、腕を組んでまじまじと私の描いたツリーらしき物体を眺め始めた。慌てて私はイレーザーを使って消そうとしたが、私の手が届く前に大輝が取り上げてしまった。
「で、これは何だ?」
 ホワイトボードを指差し、笑いを堪えきれない笑みで私に訊ねる大輝。笑いのせいで指がプルプルと震えていた。
「クリスマスツリーです! …ケチつけてる総帥こそ、クリスマスツリー描けるんですか?」
「ん? そりゃ笹本よりはうまく描けるに決まってるぞ」
 そう言い、大輝はマーカー片手に描き出した。ペンタッチは軽やかで、迷い無く線を引いていく。そして見る見る間に何かが描かれていく。
「ほら、どうだ」
 大輝は胸を張って私に自慢した。しかし、どう見ても私の描いたものと五十歩百歩にしか思えなかった。そもそも大輝の描いた絵では、木が刺々しい針葉樹でなく丸っこい広葉樹になっていた。自信満々な瞳で見つめられると、「クリスマスツリーはもみの木」という記憶が間違っているような気分にもなる。
「私のと大して変わりませんよ」
 むしろもっとひどいです、と付け加えたかったが、そんなことを言うと何が起きるのか分からないので心の奥にしまっておいた。
「心の中では馬鹿にしてるだろ」
「そんなまさか」
 私は手を振って否定した。しかし、笑いを堪えきれず口の端で笑ってしまった。
「口でも笑いやがって、こいつ」
 大輝は手に持っていたイレーザーで私を小突いた。
「いてっ」
「私を笑った罰だぞ」
 けらけらと笑う大輝。小突かれた場所をさすりながら、私も同じように笑い出した。こんな風にじゃれ合うのも久しぶりのような気がする。
 暫く二人で馬鹿みたいに笑い合ったあと、大輝はホワイトボードを消し始めた。
「あ、そのくらい私がやりますよ」
「いや、私が取り上げたんだしな」
 よく分からない理由で大輝に手伝ってもらうなんて居心地が悪い。そんなことを考えながらそわそわしていると、大輝は作業を終えていた。
「よし、職員室へ戻るか」
「総帥、まだ私が描いた絵が残ってるんですが」
 大輝は自分の描いた絵だけを消し、私の絵は綺麗に残していた。
「こんな世紀の傑作は皆に見てもらわないとな」
 そう言い、スーツの胸ポケットから携帯電話を取り出した。
「あっ! 写真なんて撮らせませんよ」
 写真を撮るのを妨害しようと大輝の携帯に手を伸ばしたが、紙一重の差で間に合わなかった。シャッター音が流れ、写真のデータが携帯に保存されてしまった。
「残念だったな」
 ほら、馬鹿やってないで職員室に戻るぞ、と満足したらしい大輝は一人でスタスタと歩き始めた。
「ちょ……ちょっと待ってくださいよー!」
 私は急いでホワイトボードから落描きを消し、教材を持って大輝を追いかけた。こんなことになるなら、大輝の傑作も撮ってしまえば良かったと内心後悔していた。



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