3.おやすみ



 話したりじゃれあったりしていると、いつの間にか時計は1時を回っていた。こんな時間までのんびり会話し続けたのは久々の気がする。しかし、さすがに疲れや睡魔が体にのしかかり、急に体が重くなってくる。
「そろそろ寝るか」
 そう言って、私は軽く背伸びをした。それに合わせて、そうだな、とジョニーは大きな欠伸をする。そして首を横に曲げようとするが、痛みが走ったのか顔を歪めた。さっき、やりすぎてしまったようだ。
「しっかし笹本って結構力あるんだな」
 ジョニーは苦笑いしながら首をさすった。
「またふざけた事したら本気でやるからな」
 今度は落とすよ、と私はニヤリと笑ってやった。
「あー、もうしませんからー」
 ジョニーは顔の前でぶんぶんと音がしそうなほど両手を振った。
「ならよし。湿布でも貼っとくか?」
「いや、いい。俺の自然治癒力は凄いんだぜ」
 まあ、確かにジョニーはサバンナだかガラパゴスだかで自給自足の生活をこなしてきた男だ。そこらへんの人間とは違うのだろう。しかし自分がある程度危害を加えてしまったのに何もしないのは少しむず痒い。
「それじゃ、ベッドで寝ていいよ」
 私は部屋の隅にあるベッドを指差した。このぐらいはさせてほしいと私は思った。
「いいのか」
「このソファがあるから、私は大丈夫」
 私は今座っているソファを叩いた。そして、普段からソファで寝ることも多いし、と付け加えた。実際に、仕事疲れのあまり、ソファに倒れこんでそのまま寝てしまうことがたまにある。
「長旅で疲れてるんだろ? 気にしないで使えばいいよ」
 納得いかない顔をしながらも、睡魔には負けてしまったジョニーは頭をぽりぽり掻いてうなずいた。
「ほら、寝巻き」
 私はジョニーに向けて寝巻きを投げた。ジョニーは不安定ながらもそれをキャッチした。
「ん、ありがと」
 ジョニーは私の目の前で着替えだした。日に焼けた背中が晒される。力強く、誰かを守るような筋肉に見えた。なんだか誰かに似ている気がした。
「お前は着替えないのか」
「あ、今着替えるよ」
 着替える姿をぼんやりと眺めていた私は、ジョニーの声で我に返った。途中からは眠たすぎて妄想でも見ていたような気がした。
 私も別の寝巻きを取り、着替える。さっきまで酔っていて汗をかいていたので、汗を吸っていない衣類が涼しく感じられた。
 服はその辺に置いといていいよ、と私は袖を通しながら言った。ん、とジョニーは返事した。
 私が着替え終わり、片づけを終わらせたのを確認すると、優しい声でジョニーはおやすみのあいさつをした。
「じゃあ、おやすみ」
 ジョニーは目じりを下げて笑った。
「おやすみ」
 私も優しい声で返した。
 そして、私とジョニーは各々の寝所に倒れこんだ。
 しばらく衣擦れの音がしていたが、少しすると無音の世界が広がった。
 しかし、今日に限って私は何となく寝付けなかった。ソファに横になってみても、一向に睡眠につけそうになかった。むしろ目が冴えてきた。
 本でも読むか、と物音をたてないように本棚へ向かった。本棚はベッドの脇にあるから、静かに取りに行かないといけない。
 足音を立てないようにして本棚の側にたどり着くと、ジョニーの姿が目に入った。スヤスヤと静かな寝息を立てている。意外なことに寝相はとても良かった。
 夢を見ているのだろうか、ジョニーは何かよく分からない言葉を口走った。束の間の平和だと感じた。
 もうすぐ大輝はビッグバン総帥として大きなプロジェクトを発動するという。勿論それは世界征服のだ。もしかしたら、こんな風にジョニーたちと親しい仲でいられるのも最後かもしれない。
 そんな、ちょっぴりセンチな気持ちに浸って眺めていると、いきなりジョニーが目を覚ました。
「……何だよ、夜這いならさっさとしろよ」
 どうやらジョニーはずっと起きていたようだ。
「誰がするか」
「じゃあ俺からしようか」
 ジョニーは急に上半身を起こし、私に抱きつこうとしてくる。
「な……やめろ」
 思わず一歩下がって身構える私を見て、ジョニーはケラケラ笑った。
「冗談に決まってるだろ」
 それよりこんな時間にどうしたんだ、とジョニーは訊ねてくる。
「何だか寝付けなくて。起こして悪かったな」
「いや、気にすんなよ。寝付けないなら子守唄でも歌おうか?」
「聞きたくもない」
 私は頭をブンブン振って拒否した。
「じゃあ添い寝してやるよ」
 入んな、とジョニーは寝転がって掛け布団をめくった。
「いいのか」
「アンタにその気があるならどーぞ」
 ジョニーが言い終わると同時に、私は迷わずベッドに潜り込んだ。
「失礼するぞ」
「って本気かよ。お前、まだ酔ってんな」
 ジョニーは慌ててベッドの端まで逃げた。私はジョニーの体を引っ張って元の位置へ戻す。
「酔ってない。それに誘ってきたのはお前の方だろ」
 瞳をじっくり見つめてみると、ジョニーは困ったように天井の方を向いた。
「そりゃそうだけどさ」
 でも、とジョニーはつぶやいたが、それ以上の言葉は飲み込んでしまったようだった。
「添い寝以外は何もしない」
「本当だろうな」
「勿論」
「しかしまあ、また何で」
 ジョニーがこちらへ向き直した。
「私だって人肌恋しいときがあるんだ」
「……そっか」
 ジョニーは私を見て微笑んだ。よく分からないが、添い寝自体は案外気にしていないようだった。
 暫く会話は途切れた。
 お互いになんとなく顔を見つめあっていたが、急に恥ずかしくなって私は寝返りを打ってジョニーに背を向けた。
「どうかしたか」
 ジョニーは優しい声で訊ねてきた。
「いや、何でも」
「俺様の美貌が眩しすぎたか」
「黙れ顎男」
「うるせーチョビ髭」
「エセウエスタン」
「露出狂」
「無職」
「チビ」
 イラっときたので、ジョニーの方へ向き直して言い返した。
「無職の長身より塾講師のチビの方がいいんじゃないか」
 それにそこまで低くないし、と私はつぶやく。
「そんなことねーよ。彼女いないくせに」
「話をすり替えるな。それに彼女は今いないだけだ」
「どうせ、いたって言っても小学生とか中学生のころのことだろ」
 笹本っていっつも働いてばっかりだろうし、とジョニーは付け足した。
「そ、そんなことない」
「なーんだ図星か。じゃあ俺の勝ち」
「そういうお前も今彼女いないだろ」
「一時的にだよ! 女の話ひとつ飛び出さないお前よりマシだよ」
「い、言ったな顎男!」
「本当に女と縁がないんですねー、チョビ髭さんは」
「宿を貸してやってるのにそんな口のきき方してもいいのか? お前ってやつは……ふふっ」
 くだらない言い合いのあまり、私は言葉の途中で吹き出してしまった。そして笑いが止まらなくなる。ジョニーもそんな私を見て釣られて笑いだした。
「ははははっ……バッカみてー」
「あー、くだらない」
 しばらく二人で笑いあっていた。私は涙が出るほどだった。
 ふいにジョニーが口を開いた。
「お前ってさ、笑ったら可愛いんだな」
 ジョニーは私の顔をまじまじと眺めだした。
「何言ってんだよ」
 思わぬ発言に、私はジョニーから顔を背けてしまう。
「いや、マジで。オレ、ちょっときゅんときちゃった」
「冗談はやめろよなー。お前落とせても私はあんまり得しないし」
「その発言は心外だな。俺だって一流ボーガーだぜ?」
「でも国際手配犯だし」
「うるさいなー、こうして匿ってる時点でお前も共犯だろ。こうなったら死ぬまで一緒だぜ」
「まるで結婚したみたいなこと言うなよ」
「じゃあ結婚するか」
 寝転がったまま、ジョニーは私に抱きついてきた。
「笹本……いや、順一。愛してる。結婚しよう」
 何が起きたのかわからなかった。
「え、あ、あの、その」
 ジョニーは私のことを包み込むようにやさしく抱擁していた。そういえば確かにジョニーの方が私より体躯がいいみたいで、私の体はすっかりジョニーの腕の中に納まってしまっていた。
 しかし。しかしだ。私はそんな気持ちなんてないはずだ。それに今はそんなことをしている余裕もない。でも。
「冗談に決まってるだろ。そんなに動揺するなよ」
 私の思考を遮るジョニーの声。意外と恋愛経験薄いのな、とジョニーは耳元で囁いた。
 私はぐうの音も出なかったので、しばらくむすっとした顔をして黙っていた。
「あーあー、からかって悪かったなー。よしよし」
 ジョニーは黙り込んだ私の頭をがしがしと撫でる。私の方が年上なのに。しかし悪い気はあまりしなかった。
 そのままなんとなくお互いの体温を感じてしばらく抱きしめあっていると、いつの間にか深い眠りに入っていた。




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